取材の日は雨だった。”雨だった”というか、もはや晴れの日を見つける方が難しい、そんな天候が続いていた。2019年7月は雨が多く、終わらない梅雨が続いていた。毎日降り続く雨の、そのなかの一日だった。
取材の日、雨の、そして日曜日のMAZARIBAまでの道のりは閑散としていた。
「障害者と健常者が一緒に暮らす」がテーマのシェアハウスMAZARIBA。その周辺は工場地帯であるため、日曜日は休みのところが多かったのだろう。さらには雨だったことで、外に出る人をさらに少なくしていたのかもしれない。MAZARIBAまでの産業道路も車通りが驚くほど少なかった。
いつもとは違った風景に少し驚きつつ、取材へとむかった。
MAZARIBAに彼女と暮らす
「MAZARIBAって歯を磨ける場所がいくつもあるんですよ。屋上に、玄関の外に、あとはキッチン…。蛇口がいろんなところにあります。日によって歯を磨く場所を変えています。それぞれで見える景色が違って楽しいですね」
MAZARIBAの気にいっているところを聞くと、住人の竹村望さんはこう答えた。
竹村さんは現在26歳。今年の4月から4年半の付き合いになる彼女とMAZARIBAに住み始めた。ひとつの部屋に彼女と二人で暮らしている。
「部屋は二人で住むには狭いかもしれませんね、4畳半くらいかな、6畳はありません。でも、ここよりも広いところに二人で住むよりもよかったんじゃないかという思いがあります。二人だけだと関係性が袋小路になるじゃないですか。誰かが近くにいるっていうことが、今はプラスに働いていますね」
たまにはケンカもしますが二人だけで住んでいたらもっと大きく衝突していたんじゃないかな、と竹村さんは笑って話す。
竹村さんと彼女がMAZARIBAを住居として選んだのは、たまたまだという。
「最初はシェアハウスでなく普通の家で二人で暮らすことも考えていたんですよ。色々探しているなかでMAZARIBAを見つけて、ホームページでバーベキューをやるという告知を見ました。去年の12月です。下見がてら行ってみようかと」
このバーベキューに参加したことが、のちのちの入居のきっかけとなった。
住み始めとほぼ同時期に竹村さんは、ADとして働きはじめている。現在は仕事は落ち着いてきているそうだが、MAZARIBAに入居した当初は、終電で帰ってくる日が続いた。朝の出勤はときにはギリギリにもなる。
「勝負は朝の4分です。日によって朝は駅までダッシュします。電車に間に合うか間に合わないかの境目が4分。3分だともう間に合わない。そういうことも生活をするなかでわかってきたことのひとつですね」
最近では仕事も落ち着いてきて、周囲の散策を楽しむ余裕もできた。ときにはドライブを楽しむそうだ。おすすめのスポットのひとつを紹介してくれた。
「ここからアクアラインの海ほたるまでって近いんです。海ほたるって絶好のノマドスペースなんですよ。コンセントとwifiがあるのははもちろん、ドリンクバーもあります。ここからだと行って帰って600円くらいでお得です」
ちなみに竹村さんの愛車は5万円で買ったスズキ エブリィジョイポップターボ。最初は何年乗れるかわからなかったが、かれこれ2年以上乗り続けている。乗れば乗るほど愛着が湧き、エブリィを停めておける場所があるという点もMAZARIBAに住む大きな理由となった。
東京、関西、そして川崎
竹村さんは何度か引っ越しがあったものの高校卒業までの多くの時間を東京で過ごした。そこから一転して、大学は関西の立命館大学に進学した。
「東京を出たいと思っていました。自分の性質は東京のような大都会寄りではないんじゃないかって、そんな気持ちが当時ありました。でも、その理由だけでは両親は納得しなかったかもしれません」
当時18歳、進学という人生の岐路を目前にして、2011年3月11日が訪れた。
「ちょうど東日本大震災があったんですよ。それで、両親としても東京にいるよりも関西の方が安全なんじゃないかという風に気持ちが傾いたような気がします」
竹村さんにとっては、東日本大震災は生まれてから多くの時間を過ごした東京を離れるひとつの契機となった。
竹村さんは、立命館大学卒業後にさらに1年働き京都で5年間、その後岐阜県大垣市の情報科学芸術大学院大学で休学を挟みながら3年間過ごした。
竹村さんは東京と関西という二つの場所で過ごし、それぞれの街の特徴を知った。このことによって、東京に住んでいるときにはなかった街を比較する視点が身についた。
「川崎は人口としては京都市とほとんど一緒なんですよ。でも、やっぱり京都とは違います。川崎ってひとつの市の中でいろんな性質を持っているんですよね。北部はベットタウンみたいな要素が強くて、MAZARIBAのある川崎区はガラが悪いって言われているエリアで、正直否定できない面もあります。同じ市なのに全然違うんですよ。性質の違う色んな人が暮らしている市なんです」
竹村さんはそんな川崎が好きだという。竹村さんにとって、川崎は住んでいて安心する街だ。
「川崎には地元の経済がある感じがします。確かに場所としては東京の隣なんですが、ただの東京のベッドタウンというだけではない。商店街があって、銭湯とかもあって、あとこの辺は工場地帯でそこで働いている人がいて……。僕はそういうのに安心しますね」
そんな竹村さんにはひとつの好きな風景がある。東京と神奈川県の県境となっている多摩川だ。通勤のときに竹村さんはいつも多摩川を見る。車窓からそれぞれの生活を営む人々を見ると、どこか安心した気持ちになるという。
「僕は通勤のときの電車はドア寄りに乗るようにしてます。そうすると多摩川が見えるんです。車窓からは色んな人が見えますよ。ブランコを漕いでいる人とか、上裸で運動している人とか、この街で暮らしている人の生活が見えるような気がします」
MAZARIBAと障がい者と
MAZARIBAは、「障害者と健常者が一緒に暮らす」をテーマとしている。現在は障がい者は住んでいないがそれでも他のシェアハウスよりも触れ合う機会は多い。竹村さんはどのように思っているのだろうか。
「MAZARIBAに住んで、つぐみさん(仮名)という発達障害を持っている人と知り合いました。住んでいるわけではないんですが、たまに遊びに来てくれます。つぐみさんと一緒の日はいつもより早めに出社するんですよ」
その理由を竹村さんは楽しそうに話してくれた。
「つぐみさんは、誰かと一緒に移動した方が安心するみたいなんです。なので、朝は一緒に出るようにしています。僕としてはちょっと遠回りにはなってしまうんですが笑。それでも、つぐみさんが安心してくれるのは嬉しいです」
つぐみさんとの知り合ったことで、竹村さんはあることに気づいたという。
「聞いてみることって大事だなと思うようになりました。『こういう感じなのかな』と思っていることでも聞いてみたら、実際にはそうではないとか、もしくは思っていたのと少しズレがあったっていうことがあります。こういうことはやっぱり、話をしてみないとわからないことです」
竹村さんは、つぐみさんに様々なことを聞いた。新しい発見もあった。これは実際の付き合いがないとできないことだろう。MAZARIBAでの生活を通じて竹村さんの中に新たな視点が身に付きはじめているのかもしれない。一度東京を離れて関西に住んだことで、川崎という街をこれまではなかった視点で見られるようになったように。
竹村さんはMAZARIBAに向いている人について、このように話す。
「変化が好きな人、変化が欲しい人にMAZARIBAは向いているんじゃないかと思います。MAZARIBAっていう名前だけあって、自分の価値観が揺さぶられることがあります。これから何かやりはじめるぞというバイタリティーを持った人には特におすすめです」
竹村さんは、MAZARIBAでの生活を通じて様々な景色を見ている。
時には歯を磨きながら、または通勤の電車で多摩川を超えながら、そして住人や訪れる人との会話から……。そういったMAZARIBAでの生活を竹村さんが愛していることが強く感じられた。
竹村望さんのWebサイト:NOZOMI TAKEMURA WORKS
取材・文:菅谷圭祐